同年代があぁそんなのあったわ的な話題なので若い方々にはつまんないかもしれないですね。ネットでなかなか資料がない1980年〜1990年初め頃の風景を無名の市井のヒトが語る資料っぽく残ればええんじゃね?的な感じで。
第一回目の今回は幼稚園前後の1970年代中盤から小学生低学年の1980年までを振り返って語ってみたいと思います。
父に幼稚園の時に生まれてはじめて映画館に連れられて観た映画は「アドベンチャーファミリー」でした。内容は殆ど記憶に無くただただクマめっちゃ怖いという記憶くらいしか残ってません。この頃、毎週NHKの「大草原の小さな家」を観せられてた記憶がありますが父に無理やり見せられてる感が強くて好きになれませんでした。
小児喘息でひ弱な私に「わんぱくでもいい。たくましく生きて欲しい」と言いたかったっぽいと思いますが父は大自然の生活に憧れを持ってるけどその方面の経験や知識がないヒトで幼稚園入園前にキャンプは一回だけ長野の乗鞍岳へ連れられたことがありますが乗鞍高原は霧だらけでロクにキャンプも出来なかった覚えしか無いです。
父方の祖父は父が高校生の頃に母方の祖父は私が生まれる少し前に亡くなり祖母は父方母方共に居ましたが祖父が居なかったので友達にお爺ちゃんがいるとすっごく羨ましく感じました。父も母も6〜8人兄妹の末っ子だったので親類筋でも私と三歳下の妹が一番幼かったので皆さんからとても可愛がられました。
身体の弱い私は幼稚園の頃から長期休暇期間は気候が良い福岡の山奥に住んでいる大叔父の家に預けられることが多く国鉄(JRでないですよ)バスに乗っておじゃましてました。当時のバス車内には灰皿があって喫煙OK、女性の車掌さんがまだ乗車してた時代です。
そして大叔父は私を鍛えるという名目で山歩きに連れてまわりました。
山の歩き方、火の起こし方と始末方法、ナイフの扱い方、銃刀法違反ですが狩猟用の空気銃の撃ち方や罠の張り方などを教わり私にとっては彼アウトドアの師匠といえますね。年代的にも叔父さんと言うより祖父に近かったので呼ぶ時は叔父さんと呼んでましたが感覚的にはお爺ちゃんという感じでした。
大叔父は若いころ文学青年だったようですが戦争で中露戦線に従軍し敗戦後は銀行マンをしていて書斎には金融関連の難解な本だけでなく百科事典や思想書、絵本に童話、星新一、北杜夫といった砕けた小説などどとにかく雑多なジャンルの本が積み上がっている本の迷宮のような場所で大叔父が本を読む時は隣でおとなしく色んな本を開いて意味はわかんないけど眺めてるだけで楽しかった覚えがあります。SFも古典のベルヌからハイライン、EEスミス、ハミルトン、アーサーCクラークあたりや小松崎茂の画集もあったのでSFは好物だったようです。戦争体験に関しては口が重く子供心に無理におねだりする話題ではないんだろうなと感じてましたが時折ふっと戦中の話を語ってくれることもあり私の人生観とか戦争観とかの形成にははかなり影響を受けてます。
転居転校を幼稚園時代から中学生時代に至るまで6回行なっていたこ(最短半年足らずで転校)とと小児喘息持ちのひ弱な自分はなかなかクラスに馴染めず図書館が一番落ち着くと思ったのも大叔父の書斎で過ごした経験もあったと思います。片っ端から本を読んでた子供でしたが頭のデキが残念な子なのであんまし詳しい内容まで覚えてる本って無いんですよね。
幼稚園年長の頃は北九州市の公団に住んでいて夕方に訪れる紙芝居で明智小五郎と少年探偵団、黄金バット、怪盗ルパンなどの演目を水飴と酢昆布で眺めるのが楽しかったです。紙芝居を知ってるギリギリの世代なんだろうと思います。
公団の隅っこに駄菓子屋もありましたがメンコ、ビー玉、ベーゴマという遊びは自分たちの頃には遊ぶ様子は見られませんでした。
子供の遊びというとワルサーP38の銀玉鉄砲で戦争ごっこ、火薬式の紙を挟んだロケットをほうり投げ地面でパーンって言う奴とかザリガニ釣りにドッチボールとか。草野球は定番の遊びなんでしょうが私が住んでた所では草野球やってるところってなかったです。
はじめて観た劇場アニメは「ヤマトよ永遠に」でした。1980年公開作品だから8歳。小学生2年くらいの頃ですね。松本零士のメカは単純にスゲーかっこええ!!と思いましたけどストーリーについては後年再放送などで何度観ても大叔父の影響か戦争を知らない世代が太平洋戦争に勝てなかった憂さ晴らしをアニメでやってる様にしか感じずあんまり好きになれませんでした。
父は西部劇と戦争モノが好きでしたので映画館でリバイバルやった時などはよく連れていってもらいました。「駅馬車」「ダンディ少佐」「アパッチ砦」「大列車強盗」「遠すぎた橋」「眼下の敵」「西部戦線異状なし」とか記憶にあります。
母は独身の頃、日活に勤務してたそうで割合ミーハーな性格で赤木圭一郎のファンでした。昭和30年代の日活映画のリバイバルをよく観について行きました。内容はあんまり覚えてませんが赤木圭一郎(福本伸行氏の漫画アカギのモデル)の拳銃無頼帖シリーズは観た記憶があります。その流れで小林旭の渡り鳥シリーズが好きになりました。
この年代で観たTVアニメや特撮で覚えのあるものっていうとヤッターマン、ガッチャマンⅡ、F、未来少年コナン、ルパン三世、一休さん、みつばちマーヤの冒険、、サイボーグ009第二期版、ゲゲゲの鬼太郎、フランダースの犬、母をたずねて三千里、ペリーヌ物語、赤毛のアン、トムソーヤの冒険、銀河鉄道999、特撮は恐竜戦隊ボンフリー、アイゼンボーグ位で他はあんまり記憶が無いです。ハマって観てたのってコナンと999位、トムソーヤの冒険位で他の挙げた番組はタイトルは覚えてるけど内容はあんまり記憶に無いです。
同世代のおたくと会話すると必ずと言っていいほどウルトラマン、仮面ライダー、ゲッターロボ、マジンガーZの話題が来ますがほとんど観た覚えがないのでついて行けません。スーパーロボット大戦に興味がないのも子供の頃に主だったスパロボ登場作品を見ていないのがあるかなと思います。
特撮も興味なく好きな特撮は?と言われると人造人間キカイダー、ゴレンジャーと答えますが幼稚園時代にリアルタイムに視聴してたのではなく1980年代半ばの中学生の頃にリスナーをしてたKBCラジオパオーンという番組でキカイダーとゴレンジャーネタが流行ってたのと丁度その頃に何度も再放映をやってたので観てハマった口なので全国区的にみると珍しいかもしれませんね。
よく観てたバラエティだと8時だよ全員集合、ムー一族が好きでしたがバラエティが嫌いな父が家にいる時は見せてもらえませんでした。
芸能関連はさっぱりですが沢田研二と郷ひろみ、山口百恵は覚えてるかな?
ピンク・レディーは片割れが私の本名と同じでからかわれるネタだったので嫌いです。スポーツ関連は喘息持ちの運動音痴だったので野球自体全くやった経験がなく、スポーツ観戦も巨人ファンの父に何度かナイターに連れてゆかれましたが全く楽しんでないという残念な子供で王さんはホームラン記録出してて凄いらしい長島さんはひげ濃ゆくて迷監督さんというイメージを持つ程度でした。
ゲーム関連は小学校1年の78年にインベーダーゲームが大ブームとなりますが1人で自由に外出する許可を貰えなかった私には無縁でした。一度父の友人が経営するバー連れてかれて卓上型のインベーダーと出会い遊んでみました。アーケードゲーム初体験はそれだと思いますがあんまり楽しいと思わなかった記憶です。
カセットビジョンなどはすでに発売されてたのですが高嶺の花という感じであんまりほしいと思ったことはありませんでした。年代的に80年にパックマン、ゲーム&ウォッチがLSIの平安京エイリアン世に出てますが触った記憶はもうちょっと後でした。
幼稚園時代はプラレールや河田のダイヤブロック、ミクロマンや鋼鉄ジーグなどスパロボ系の超合金の玩具が流行ってたっぽいんですが両親が買い与えてくれなかったのでその手のおもちゃの存在は友達の家で知ったという感じです。
幼稚園時代から小学生低学年の頃を振り返るとアニメ特撮にはそれほど思い入れもなく西部劇や戦争映画モノや小林旭にハマって大叔父と山歩きしたり部屋で本ばかり読んでおもちゃなどに物欲がわく感じはないというなんというかまだ「おたく」と呼ぶには微妙な枯れた子供だったなぁとしみじみ思います。
次回は小学生半ばから高学年の頃の話を書いてみようと思います。
それではみなさんごきげんよう!